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2013年8月9日金曜日

【掟破り】山本太郎議員はタブーに手を突っ込んでしまったので「社会的に抹殺」されるだろう

第184回国会(臨時会) 質問主意書情報 
平成25年8月7日現在


件名:
環太平洋パートナーシップ(TPP)協定及び日米並行協議に関する質問主意書

提出回次 184回 提出番号17 

提出日 平成25年8月6日

提出者  山本太郎君

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/184/meisai/m184017.htm


六 本年四月十九日、米国シンクタンク戦略国際問題研究所で開催された講演会において、麻生太郎副総理が、「水道というものは、世界中ほとんどの国では、プライベートの会社が水道を運営しているが、日本では自治省以外ではこの水道を扱うことはできません。しかし水道の料金を回収する九十九・九九パーセントというようなシステムを持っている国は、日本の水道会社以外にありませんけれども、この水道は全て国営若しくは市営・町営でできていて、こういったものを全て民営化します。」と水道民営化に言及している。


1 TPPでは政府調達の分野も含まれており、外国企業の参入を拒めなくなるはずである。
水道のようなライフラインを外国企業に買収されてしまえば国家安全保障に関わる問題となる。
この点について、政府の見解を明らかにされたい。

2 米国には国家安全保障を脅かす外国企業の活動を制限できるエクソン・フロリオ条項があるが、日本版エクソン・フロリオ条項のようなものの導入は検討していないのか、政府の見解を明らかにされたい。

3 愛媛県松山市において、ヴェオリア・ウォーター・ジャパン株式会社への水道事業の業務委託が始まっている。
松山市は業務委託によって水道料金が値上がりすることはないとホームページで公言しているが、同ホームページによれば、平成二十五年度から平成二十八年度にかけて水道料金の大幅値上げが計画されている。
ヴェオリア・ウォーター社が参入したことと、この料金値上げとの間に本当に関連性はないのか、政府の見解を明らかにされたい。

右質問する。



               
《関連記事》

☆コチャバンバ水紛争

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%90%E6%B0%B4%E7%B4%9B%E4%BA%89

コチャバンバ水紛争(こちゃばんばみずふんそう)は、ボリビアのコチャバンバで2000年1月から4月にかけて発生した一連の抗議行動。


コチャバンバでは、1967年より水道事業を担っていた SEMAPA(市営上下水道サービス公社)が世界銀行の主導によって民営化された。世界銀行のボリビアに関する1999年6月の報告では、上水道の使用料金を低く抑えておくための公的補助金を中止することが求められていた。 1999年9月、米国籍会社のBechtelが子会社International Waterを介して55%を保有するAguas del Tunari, S.A.(AdT)はボリビア政府水道局との間で上下水道事業に関するコンセッション契約を締結した。

(略)

途上国における公的セクターによる水道事業は政治的な圧力により意図的に水道料金を低めに設定して赤字垂れ流しが黙認されてきたが、漏水率削減等のサービスおよび供給能力の向上には供給コストをカバーできることが必要不可欠であり、その第一歩として料金引き上げが必要となる。 このため、AdTは料金値上げが行い、その結果,コチャバンバ市における水道料金負担は労働者最低賃金(60ドル/月)の約1/4になり、値上げの住民への事前説明が不十分だったために住民暴動が起きた。 さらに、AdTが新たな井戸掘削を計画したことが周辺農民の不安を駆り立て、大衆運動がコチャバンバから全国的なゼネストや暴動に拡大した。

(略)

4月4日には再びコチャバンバは機能停止に陥った。


IWL社は、コカ絶滅作戦に反対するコカ生産農家たちの煽動により暴動が悪化していると主張した。


デモが4日目に入った時、ボリビア政府は戒厳令を発令した。警察は反乱指導者たちを深夜急襲して逮捕し、地元ラジオ局を閉鎖。武装兵士が町を監視した。

4月10日、水道会社の民営化撤回を迫るため、数千の人々がコチャバンバでデモ行進を計画した。しかし、ウゴ・バンセル・スアレス大統領は武力でこれを鎮圧しようとした。バンセルはかつて1970年代に独裁政治を行なった事がある大統領である。彼は警察に指示して2日間に渡りデモ隊に催涙ガスを浴びせ続け、6人の死者と175人の負傷者を出した。この負傷者の中には失明した2人の子供も含まれる。

この騒乱はラパスにも飛び火し、チチカカ湖周辺の住民も道路封鎖などの抗議行動を起こす。4月8日にはボリビア軍により17歳の少年が顔面を撃たれて死亡。逆に農民がボリビア軍大尉を撲殺するという事件も起こる。

ラパスやサンタクルスなどの大都市では、警官や消防士などの中に反対運動に賛同するものが現れ始める。また、ボリビア中央労働者連盟(Central Obrera Boliviana : COB)の呼びかけに応じて教職員組合が無期限ストライキを始めた。

4月12日にAdTは事業撤退を表明。ボリビア政府も最終的に抗議者たちの主張を全て受け入れることを表明した。世界銀行は援助停止の形で圧力をかけた。

(略)

コチャバンバの活動家による宣言文は次の通り:

私たち、ボリビアとカナダとアメリカ合衆国とインドとブラジルの市民たち: 農民、用水番、労働者、先住民、学生、専門家、環境論者、教師、非政府組織メンバー、年金生活者たる私たちは、今日、大切な水の権利を守るため、力を結集し一致団結した。 私たちはこの地、組織や政府による虐待に立ち向かった市民の行動・勇気・犠牲によって、商業主義が握りつぶそうとしていた権利を取り戻したこの地、世界に輝けるこの地において、私たちの自由と尊厳に基づいて、次の宣言を行なうものである: 生きる権利に基づき、また、自然と私たちの祖先と私たちの土地の習俗に対する尊敬に基づき、大地から与えられた水の使用については未来永劫侵されざる以下の権利があることを明らかにしなければいけない。

水は大地と全ての生物のものにして神聖にして犯す事ができないものであり、全世界の水資源は温存され、営繕され、保護されて子孫に伝えられ、その自然の状態が尊重されなければならない。

水は人間の基本的な権利であり全ての政府機関によって公共性が保証されなければならない。すなわち、金儲けの手段になったり、民営化されたり、商業的に取引されてはならない。この権利は全ての政府機関で尊重されなければいけない。特に国際的な協定においてはこの原則に異論を挟む事は全く許されない。

水は地域社会と地域住民によって守られることが望まれ、この地域住民は水の保護と調整の上で政府と同じ重要性を持たされなければならない。世界の中の地域住民こそ、地球の民主化を促進し、水を守るための原動力なのである。




☆コチャバンバ水戦争:「水戦争」から10年 マルセラ・オリベラ、市営水道民営化阻止の対ベクテル民衆闘争をふり返る
(マスコミに載らない海外記事)

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-bea7.html


2010年4月19日、月曜

Democracy Now

十年前の今月、ボリビアの都市コチャバンバは、市の最も不可欠な天然資源の一つ、水を巡る歴史的な戦いの中心だった。水戦争は、シアトルの戦いからわずか数カ月後に起きた。コチャバンバ街頭での反ベクテル蜂起は、大企業グローバリゼーションに反対する国際闘争の体現と見なされている。水戦争の十周年を記念して、先週コチャバンバに、世界中から水問題の活動家達が集まった。

[下記は番組の書き起こし]

番組の文字起こし

これは急ぎの文字起こしであり、必ずしも最終的文章ではない。

10年前、この路上で、この町コチャバンバの17歳の住民、ビクター・ウゴ・ダザが、ボリビア兵の銃弾に倒れました。水戦争のさなかでした。軍はこの日、コチャバンバに戒厳令を発令しました。でも結局降参したのは軍隊と国でした。米国サンフランシスコに本拠を置くベクテル社と交わした契約を取り消すことになりました。コチャバンバの人々の水を民営化した会社です。

エイミー・グッドマン: ボリビア、コチャバンバからやや外れた所にある、ボリビアの町ティキパヤから放送しています。今日、「気候変動と母なる大地の権利のための世界民衆会議」が開催されます。サミットを一週間報道する予定です。

コチャバンバの水戦争十周年報道に戻りましょう。この十周年にあたり、何百人もの人々が、集まって、一週間祝祭を行っています。日曜にマルセラ・オリベラさんと会いました。彼女は「水と生活の防衛連合」国際連絡担当主任として働いていました。兄オスカル・オリベラさんがこの組織を率いていました。  

オスカル・オリベラ: [翻訳] もし政府が水道会社を国から追い出さないなら、国民が追い出そう。

エイミー・グッドマン: ボリビアの、コチャバンバで、十年前に全てが始まった広場に私達は立っています。マルセラ・オリベラさんと一緒です。水の民営化に対する戦いが始まった時、彼女はここにいたのです。マルセラさん、全てがあの垂れ幕で始まったのですね?

マルセラ・オリベラ: はい、紛争が始まった時、あの横断幕があそこに掛けられていました。

エイミー・グッドマン: 何と書いてあるのですか?

マルセラ・オリベラ: “水は皆のものだ、クソッたれ!”

エイミー・グッドマン: “水は皆のものだ、クソッたれ”?

マルセラ・オリベラ: はい。私達が“カラホ=クソッたれ”という言葉を使ったのは、連中が理解しようとしなかったので、強烈な言葉を選んだのです。我々は常に連中に、水が我々にどれほど重要かを訴えてきましたが、連中は理解しませんでした。我々は要求から決して引き下がらないという決意を彼等に伝える強力な方法でした。

    カンペシーノス、農民組合が最初に始めたのです。政府が、水に対する彼等の権利に影響する法律を成立させようとしていることに一番最初に気付いたのは農民組合でした。それで、彼等が最初に町にやって来て、もしこの法律が成立してしまえば、こういうことが起きると我々に教えてくれたのです。政府は私達の水源を民営化しようとしていたのです。政府は地域社会が所有している私達の井戸を民営化しようとしていました。政府は市の水道を民営化しようとしていました。この法律は農民、我々全員に影響することになると。

    数年間、工場の労働問題と戦う仕事をしてきた、この市で政治活動の中心団体だった工場労働者連合を農民組合は訪ねたのです。農民組合がこちらにやって来て、助けようとしている労働者を見いだしたというわけです。しかし農民組合は、法律を実際に読み解き、法律が将来いかに民衆に影響を及ぼすかを理解できる学者や知識人という非常に重要なグループも見つけ出しました。こうした人々の集団がここに集合したのです。

エイミー・グッドマン: お兄さんのオスカル・オリベラさんも、この運動に顔があったとすれば、確実の彼の顔でしたね。彼は工場にいたのですか? 工場労働者だったのですか?

マルセラ・オリベラ: はい、彼は、当時、工場労働者連合の指導者でした。この運動自体は彼等を運動の指導者とは呼びません。彼等を“広報担当”と呼んでいました。組織の中に幾つか階層を作りました。そこで我々は、例えば、もし連中が、一層目の広報担当達が刑務所に入れられたら、第二層の人々が運動の指導部を引き継ぐ仕組みでした。取りまとめ役は、複数の階層で組織されていました。

エイミー・グッドマン: ベクテルは一体どのようにボリビアに入り込んだのですか?

マルセラ・オリベラ: はい、政府が営業許可を売却する為、企業に、この国に来るよう公に声をかけ、誘致したのです。私が知る限りでは、三社が文書を提出しましたが、二社は後に自辞退しました。ベクテル一社が残ったのです。実際にはコンソーシアムでした。何人か地元の実業家達がコンソーシアムに参加していました。彼等は水道を乗っ取ることにしたのです。契約書の署名は実際、私たちの目の前のビルの中で行われました。彼等が契約書に署名した時、このドアの中には抗議行動参加者達の小集団がいました。当時のバンゼル大統領は

エイミー・グッドマン: 彼は長い間独裁者として有名でしたね

マルセラ・オリベラ: はい。

エイミー・グッドマン: 彼が大統領に選ばれる前

マルセラ・オリベラ: そうです。民衆が外で花火を使って抗議行動をする音声を聞こえると、彼は言ったのです。“ああ、この類のバックグラウンド音楽には慣れっこだ”と。彼はその音楽が数ヶ月後に、実際大音響になるとは思っていなかったのです。

    水道民営化と、この法律に反対する最初の動員は、1999年11月、12月頃に始まりました。運動は極めて小規模で散発的でしたが、拡大してゆきました。

エイミー・グッドマン: シアトルの戦いが起きたのと同じ時でしたね。

マルセラ・オリベラ: 私たちは当時、世界の他の場所でそういうことが起きているとは知りませんでした。後になって、こうした戦いがつながっていて、いずれも成功したというのを知れたのはうれしいことです。でも、それは1999年のことです。

    1月にも、依然、抗議行動が続いていました。数日間、我々は市を封鎖しました。政府高官達がここに交渉に来ましたが、2月まで、交渉では何の結果も、一切進展しませんでした。2月4日、ここにあつまるよう人々を動員したのです。私達は“ラ・トマ・デ・ラ・プラザ”と呼びました。「広場の奪取」作戦です。私達にとってパーティーのようなものでした。それは地方の民衆の要求であり、都会の我々の要求でしたから、畑、田舎からここにやって来た人々と、都会の人々との会合になるのですから、パーティのようなものになるはずでした。それで我々は音楽を使ってパーティーをする計画をたてました。いくつかバンドを雇いました。そして、まさに本当にパーティーになっていったのです。

    町の四つの地点からここに集まるように私達は決めました。一つはこの方向から。もう一つは、コカレロスが橋の方からやって来ました。

エイミー・グッドマン: コカ栽培者達ですね。

マルセラ・オリベラ: 南部の住民達は南からやってきました。工場労働者連合があり、労働者は全員、近くの広場から来ました。そういうわけで一斉に全員が集まったのです。

    政府はそのような集会は許さないと言っていました。この数日前、政府は、自動車やオートバイで警官隊を派遣し、町を包囲して、民衆を威嚇したのです。動員当日、彼等は人々に10メートルたりとも歩かせませんでした。そして彼等は人々に催涙弾を撃ちはじめました。

    私たちの多くは、自宅に戻り、朝起きたこと、そして依然として起きていることを、TVで見たのです。こんなことは有り得ないと皆言ったのです。警官達は女性を殴っていました。子供達を殴っていました。催涙弾を民衆に向け撃ち込んでいました。それで我々は立ち上がり、その日の午後でかけたのです。すると動員対象でなかった多数の人々が、都市の人々が突然加わりました。“広場は我々のものだ。占拠して当然だ”と言って、我々数万人の人が広場を占拠しようとしました。それは何かを巡る戦い以上のものでした。それは、我々が自分のものと考えている空間を物理的に占拠する戦いでした。我々にはこの空間を占拠する権利があるのです。

    しかし、そうは行きませんでした。ある日連中は、ひどいことですが、人々にゴム弾を撃ったのです。多数の人々が怪我をしました。我々が全く予想しなかったのは、翌日、人々が同じ目的の為、再度集合したのです。私達はこう思っていました。“あー、これで終わりだ。もう夜だ。全員帰宅した。何もおこらないだろう。”ところがさにあらず、翌日、チャパレからやって来て、畑から来て、コカ栽培者達が町に留まり、彼等は、

エイミー・グッドマン: エボ・モラレスに率いられて。

マルセラ・オリベラ: はい、その通りです。彼等は街路を占拠し、広場を再度占拠しようとしました。そして、それが他の人々を励まし、学生や近隣の人々や、私たち全員がここに、あの土曜日にやって来て、とうとう広場を占拠したのです。これは大勝利でした。我々は政府と合意し、政府との協定に署名し、政府は水法案を凍結し、ベクテルとの契約の条件について取りまとめ役と交渉する委員会を立ち上げたのですから。

    3月のある時点で、政府には何もする気がないことがわかりました。政府は時間稼ぎをしようとしているだけだと。それで、3月に、我々は住民投票と呼ぶ行動をとりました。これは憲法に基づくものではありません。法的なものではありません。しかし我々は正当もなのだったと信じています。そこで多数のボランティア達が、町のあちこちにテーブルを置いて、また地方でも、我々は二、三の明快な質問をしたのです。一つ目の質問は、民衆の要求を反映させて、水に関する法律を変更したいか? 二問目は、ベクテルに国から出て行って欲しいか? そして三つ目は、水道事業を公営に戻したいか? 回答した住民の98パーセントが、ベクテルには出て行って欲しい、法律を変えたい、水道事業を公営に戻したいというものでした。政府は全くそれを考慮しようとしませんでした。我々が出した結果を政府は無視したのです。

    そこで我々は、何か他の手を打たねばならないと気がつきました。それで、4月に最終決戦を呼びかけたのです。我々はこう表現しました。勝つか負けるかの正念場でした。他に代案は全くありませんでした。それで私達は再度動員を呼びかけました。そして2月の占拠から一ヶ月後、四日か、五日間、ここに動員したのです。

    最初は、この広場にとても大勢の人がいました。多分25,000人はいたでしょう。しかし日が経つにつれ、動員で集まる人数は減りました。警察も弾圧しに来なくなりました。当局は戦略をすっかり変更したことを我々は知っていました。当局は、もし警官を正面に出せば、人々を怒らせることになるのが分かっていました。だから当局はそういうことはしないようにしたのです。連中は、我々を疲労させようとしたのです。

    交渉はともかく続いていました。政府は、取りまとめ役を、決して法的実体として見なそうとせず、政府は、取りまとめ役、広報担当との交渉を嫌がっていました。ところが、人々は彼等を交渉に参加させにうとしていました。オスカルはいつも私達に言っていました。ここで交渉が行われる時には、人々で広場を囲もうと。しかし政府はこう言いました。“あなた方は法的なものではないのだから、あなた方とは交渉するつもりはない。出て行きなさい。”それで、代表団は立ち去ろうとしたのです。ところが、ここにいた人々は、代表団が建物から出るのを認めませんでした。彼等は言いました。“だめだ。あなた達は我々の為に交渉しなければならないのだから、あなた方は中にいなければならない”それで広報担当、取りまとめ役達は、外にも出られず、交渉にも参加できず、身動きできなくなり、ホールに留まらされたのです。

    あの時には、ここには全く鳥はいませんでした。

エイミー・グッドマン: マルセラさん、公園を四分の三ほど回りましたね。工場労働者の事務所、政府庁舎、公園の反対側には教会があります。

マルセラ・オリベラ: えー。

エイミー・グッドマン: 大司教の役割についてお話ください。

マルセラ・オリベラ: 彼はいわば政府と民衆の仲介をした人物でしたから、水戦争で大司教は非常に重要でした。単に公平だっただけではありません。彼は立場を明らかにしたのです。彼は民衆の側にたちました。我々が正しいということは明白でしたから、彼は人々の要求に完全に同意していました。彼は非常に重要でした。彼は常に民衆の側にたっていました。

エイミー・グッドマン: 彼が十年前にそうしていなかったら、彼は今頃、枢機卿になれていただろうと思いますか?

マルセラ・オリベラ: なれていたと思います。でも彼は、民衆の側に立ちました。教会は紛争に際して、常に中立であろうとしますから、おそらく、教会の普通の役割に反していたでしょうが、彼は機織鮮明にして、民衆の側にたちました。彼は正しい側についたのです。

    あらゆる町角に若者、我々が水戦士と呼ぶ連中を配置していました。彼等は自分達を、ゲレロス・デル・アグアと呼んでいました。そこで彼等はあらゆる街角に立ち、この教会にもいました。警官や兵隊が来るのを見たら鐘を鳴らす役の、街中で暮している子が一人いました。彼は塔の最上階にいました。

エイミー・グッドマン: 彼等は鐘の周囲に綱を縛りつけて?

マルセラ・オリベラ: はい。警官や兵隊がやってくるのを見るたび、彼等は鐘を鳴らし、連中が来ると我々は知り、相手と戦う準備をするのです。彼等は、若者は、誰一人、彼等にああしろと支持しないやり方で組織したのです。彼等は自発的にそうしたのです。誰一人、彼等にああしろこうしろとは言っていません。

    こういうことになるとは誰も予想していなかったと思います。2月に、私達は思いました。ウワーこれは素晴らしいことだ。一種頂点のようなものだ。それに似たようなことは、もう二度と起きないだろうと。ところが、4月にまた起きたのです。私もこのようなことを体験しようとは思ってもいませんでした。52年の革命以来、このようなものは見たことがないと両親達は言います。ですから、あの当時暮していた人々全員、私は確信していますが、実に歴史的だと感じていました。

    ここに軍の基地があります。ある時点で、4月の紛争中に、警官隊がやってくる、軍がやってくる、政府は国民を殺す為、軍隊を派兵する、という噂が立ちました。市民の中には、政府や軍隊に反撃するために、自分達も武装する必要があると考えた人々もいました。その時点では、人々の要求は会社に出て行って欲しいというだけではありませんでした。人々の要求は、この政府を退陣させたかったのです。そしてこの国に自分達の政府を作ろうとしていたのです。それで、これが一体どのような結末になるかわかりませんでしたから、恐ろしいところがありました。運動がどのように発展するか私にもわかりませんでした。運動は自然発生的なものでした。誰かが指揮しているわけではありませんでした。

エイミー・グッドマン: この写真では、女性たちが、道路の向かい側の兵士や警官を、投石器で狙っていますね。これについてお話ください。

マルセラ・オリベラ: はい。人々がしようとしていたのは、これには写っていませんが、ここにも人々がいました。我々は警察非常線の背後にあった広場を占拠しようとしていました。私達は広場からわずか2ブロック先にいたのです。この女性は石を投げているところです。この伝統的な、英語で銃?で。

エイミー・グッドマン: 投石器で。

マルセラ・オリベラ: はい、ケチュア語でウアラカと呼びますが、私たちはそれを野原で、リャマを集団にしておくのに使うのです。

    十年前起きたことが、我々が今手にしているもの、そして、今後我々が得るものの為の扉を開いたのです。エボ・モラレスの様な大統領を実現できたのは、2000年4月の社会運動があってこそで、そういう事が起こるのを可能にする扉を開いたおかげです。教訓は、水戦争は終わっていない、ということだと思います。十年前の紛争は、単に水だけを巡るものではありませんでした。何か他のもの、特に我々が民主主義と呼ぶものを巡るものでした。自分達にとって重要なことを誰が決めるかの問題でした。それが我々にとって重要でした。十年後になっても、まだ終わっていないと言うべき位置にいるのだと思います。この場合は、民営化反対ですが、我々は依然として、何かに反対しようとしているというよりで、何かを作り上げる為に戦っているのだと思います。そして、まだ先は長いと思います。

    物事の進行方向を、私達がわずかながら変えたのですから、私達は、私は個人的に、歴史の極めて重要な一コマだったと感じています。水戦争の教訓は、何事も、不変のものはなく、我々は物事を変えることができるということです。制度は民営化されてしまいましたが、我々はそれを元に戻せました。我々は決定をひっくり返すことができ、水道事業を我々の手に取り戻せました。まさかそうなるとは全く想像もできないことです。これはオスカルがいつも言っている、街路で常に繰り返しているスローガンは「民衆は団結すれば、決して敗北しない」です。我々が、ここコチャバンバに、十年前に暮していたのはとても重要なことです。そして、こういうことが、また何度でも繰り返して起きると我々が信じているのはとても重要ことです。

    私達が勝てるとは全く考えていませんでした。決して。決して勝てるとは思っていませんでした。私達がしていたのは、一瞬一瞬を戦い続けたことです。我々が、この戦いに勝てるとは誰も考えていなかったと思います。

エイミー・グッドマン: 勝利した時はいかがでした?

マルセラ・オリベラ: 信じられない喜びでしたが、我々が望んでいたものを手に入れる途上で、人々、若者を失ったのですから、とても悲しいことであもありました。



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